直前の告知となりますが
以下の通り、変更になりますので、ご注意ください。
(1)開始時間が2時→1時になります。
(2)廣瀬純さんが一部→二部に変更になります。
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「街頭行動の自由を考える」第3回討論集会
ナショナリズムによる街頭占拠とどう向き合うのか
――市民から国民へ?――
日 時 6月30日(日)13:00~17:00
場 所 早稲田大学 早稲田キャンパス 16号館107教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
交 通 東西線早稲田駅下車 徒歩10分
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第1部【大喜利風】
国富建治さん(改憲案の内容を押さえながら)
池田五律さん(練馬反派兵運動から)
渥美昌純さん(第2次東京オリンピックによる街頭占拠)
第2部【車座討論】
ヘイトクライムの現場より
大阪鶴橋+新大久保からの報告から始まるディスカッション。
廣瀬純さん(都合により2部への参加予定に変更)
「街頭行動の自由を考える」
2013年6月29日土曜日
2013年6月4日火曜日
開催決定☆ 第3回討論集会 「ナショナリズムによる街頭占拠とどう向き合うのか ――市民から国民へ?――」
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「街頭行動の自由を考える」第3回討論集会
ナショナリズムによる街頭占拠とどう向き合うのか
――市民から国民へ?――
日 時 6月30日(日)13時開場 14:00~17:00
場 所 早稲田大学 早稲田キャンパス 16号館107教室
http://www.waseda.jp/jp/ campus/waseda.html
交 通 東西線早稲田駅下車 徒歩10分
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第1部【大喜利風】
国富建治さん(改憲案の内容を押さえながら)
池田五律さん(練馬反派兵運動から)
渥美昌純さん(第2次東京オリンピックによる街頭占拠)
廣瀬純さん(「金曜日」連載をきっかけに)
第2部【車座討論】
ヘイトクライムの現場より
大阪鶴橋+新大久保からの報告から始まるディスカッション。
選挙が空しい。議会なんて機能してない。
テレビは見たくない。作り笑いのウソが爆発している。
物を買う金もない。部屋も狭い。だから広い空の下に出たい。
2年前の原発震災以来、ガマンできない人々が街に出はじめた。
そのうちに今度は「白地に赤い丸」の金切り声が目立ちはじめる。
「殺せ」「焼け」「**」と。
世界を結ぶ「オリンピック」のハラスメントが始まり、
平和を守る不穏な「自衛隊」がまかり通る。
街はそんな声と旗に埋め尽くされてしまうのか?
2013年、 今年は関東大震災から90年であると同時に朝鮮戦争停戦から60 年、そし
て朝鮮民主主義人民共和国が休戦協定の白紙を宣言した年である。
たとえば今、南海トラフ地震が起きたとしたら、 かつてのように自警団が組織さ
れることはあるのだろうか。あるとした時、 私たちは自警団の前に立ちふさがれ
るだろうか?
東日本大震災以降の日本社会は、 まさに惨事便乗型資本主義の様相を呈している。
「復興」で利益を得るのは企業ばかりであり、 高線量下の生活を強いられる人々
の避難の権利を認めようともしない。 性懲りもなく再稼動を狙うばかりか、輸出
に血道をあげてさえいる。 原子力基本法の目的に安全保障を明確に位置づけなが
らも、他国の核戦略を都合よく選別して批判する二枚舌。
"絆"などと民族の同一性を鼓舞しながら、 他方で上からも下からも民族差別を噴
きあげている。
その民族差別に対抗する戦線の中で、 国民国家の主権を自明のものとしてナショ
ナルプライドが語られているなど、状況は危機的だ。
しかし、現在の状況を準備したのは、 日本国家の植民地主義の百年の蓄積であ
る。レイシストが、相対的に「穏和」 なナショナリストの存在を霞ませる。まさ
に、ナショナリストの焼け太りである。
「コリアンタウン」への襲撃と対抗行動、 オリンピック招致と伴う排除、ひいて
はビックレスキューなど、 ナショナリズムによる街頭占拠はあらゆる場所に現れ
ている。
ともに縦横に語ろう。
============================== ==========================
主 催 討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
浜邦彦研究室
mail:gaitoukoudounojiyu@yahoo. co.jp
WEB:http:// freedomofstreetaction. blogspot.jp/
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します
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「街頭行動の自由を考える」第3回討論集会
ナショナリズムによる街頭占拠とどう向き合うのか
――市民から国民へ?――
日 時 6月30日(日)13時開場 14:00~17:00
場 所 早稲田大学 早稲田キャンパス 16号館107教室
http://www.waseda.jp/jp/
交 通 東西線早稲田駅下車 徒歩10分
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第1部【大喜利風】
国富建治さん(改憲案の内容を押さえながら)
池田五律さん(練馬反派兵運動から)
渥美昌純さん(第2次東京オリンピックによる街頭占拠)
廣瀬純さん(「金曜日」連載をきっかけに)
第2部【車座討論】
ヘイトクライムの現場より
大阪鶴橋+新大久保からの報告から始まるディスカッション。
選挙が空しい。議会なんて機能してない。
テレビは見たくない。作り笑いのウソが爆発している。
物を買う金もない。部屋も狭い。だから広い空の下に出たい。
2年前の原発震災以来、ガマンできない人々が街に出はじめた。
そのうちに今度は「白地に赤い丸」の金切り声が目立ちはじめる。
「殺せ」「焼け」「**」と。
世界を結ぶ「オリンピック」のハラスメントが始まり、
平和を守る不穏な「自衛隊」がまかり通る。
街はそんな声と旗に埋め尽くされてしまうのか?
2013年、
て朝鮮民主主義人民共和国が休戦協定の白紙を宣言した年である。
たとえば今、南海トラフ地震が起きたとしたら、
れることはあるのだろうか。あるとした時、
るだろうか?
東日本大震災以降の日本社会は、
「復興」で利益を得るのは企業ばかりであり、
の避難の権利を認めようともしない。
に血道をあげてさえいる。
らも、他国の核戦略を都合よく選別して批判する二枚舌。
"絆"などと民族の同一性を鼓舞しながら、
きあげている。
その民族差別に対抗する戦線の中で、
ナルプライドが語られているなど、状況は危機的だ。
しかし、現在の状況を準備したのは、
る。レイシストが、相対的に「穏和」
に、ナショナリストの焼け太りである。
「コリアンタウン」への襲撃と対抗行動、
はビックレスキューなど、
ている。
ともに縦横に語ろう。
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主 催 討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
浜邦彦研究室
mail:gaitoukoudounojiyu@yahoo.
WEB:http://
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します
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2013年2月7日木曜日
第二回討論集会開催
第二回討論集会 「街頭行動の自由を考える」
~~柵を越えたら自由なの?
日 時 2013年2月17日(日)13:30開場 14:00~17:00
場 所 日本キリスト教会館4F(早稲田奉仕園内/早稲田大学文学部前)
資料代 500円
主 催 討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
gaitoukoudounojiyu@yahoo.co.jp
WEB http://freedomofstreetaction.blogspot.jp/
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します
3.11によって生存の不安が呼び起こされたのか、今までデモ・集会に関心のない層が
反・脱原発運動に合流し、停滞していた社会運動が盛り上がりを見せた。
怒りが沸点を越え、場に集う人々が作りだすエネルギーが出口を求め規制の枠を超えさせる。
そこにあるのは、権力からの弾圧、自主規制・内部統制からの逸脱に過ぎないのか…。
柵の向こう側で占拠したテントの中で、人は与えられた役割、
レッテルを捨て去って出会い、対話することは可能だろうか。
路上は境界線上の場所である。
むきだしの暴力が支配する追放されたものの「流刑地」である。
それをこの国の不自由を超越した場とすることができるか。
閉塞した現在の社会への不満の発露は、怒りの放出で収束させられるのか、
死を選ばせる時代にあって、「敗者」は互いを仮想敵に仕立てあげ自滅させられるのか。
こころの中の柵をとっぱらい、権力による妨害行為をかわし
針の穴ほどの未来へ模索し、討論を続けよう。
<発話者>
井上森さん(立川自衛隊監視テント村)
淵上太郎さん(経産省前テントひろば)
二人に短くお話しいただいたのち車座形式で参加者のみなさんと討論します。
~~柵を越えたら自由なの?
日 時 2013年2月17日(日)13:30開場 14:00~17:00
場 所 日本キリスト教会館4F(早稲田奉仕園内/早稲田大学文学部前)
資料代 500円
主 催 討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
gaitoukoudounojiyu@yahoo.co.jp
WEB http://freedomofstreetaction.blogspot.jp/
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します
3.11によって生存の不安が呼び起こされたのか、今までデモ・集会に関心のない層が
反・脱原発運動に合流し、停滞していた社会運動が盛り上がりを見せた。
怒りが沸点を越え、場に集う人々が作りだすエネルギーが出口を求め規制の枠を超えさせる。
そこにあるのは、権力からの弾圧、自主規制・内部統制からの逸脱に過ぎないのか…。
柵の向こう側で占拠したテントの中で、人は与えられた役割、
レッテルを捨て去って出会い、対話することは可能だろうか。
路上は境界線上の場所である。
むきだしの暴力が支配する追放されたものの「流刑地」である。
それをこの国の不自由を超越した場とすることができるか。
閉塞した現在の社会への不満の発露は、怒りの放出で収束させられるのか、
死を選ばせる時代にあって、「敗者」は互いを仮想敵に仕立てあげ自滅させられるのか。
こころの中の柵をとっぱらい、権力による妨害行為をかわし
針の穴ほどの未来へ模索し、討論を続けよう。
<発話者>
井上森さん(立川自衛隊監視テント村)
淵上太郎さん(経産省前テントひろば)
二人に短くお話しいただいたのち車座形式で参加者のみなさんと討論します。
2013年1月1日火曜日
「街頭行動の自由」集会をめぐる声明
「討論集会『街頭行動の自由を考える』」に、ご参加いただいたみなさんへ
去る2012年10月21日、私たち実行委員会は、一橋大学で「討論集会 『街頭行動の自由を考える』」を開催しました。参加いだいた皆さんにお礼申し上げます。
この集会に先立って街頭の自由をめぐる問題がすでにネット上ではたびたび論争になっていました。そういう状況下で、討論を主体とする集会を企図することは、「罵声や野次」が飛び交う可能性を孕むものでした。しかし私たちはネットではなく、面と向かってやり取りすることを重視しました。どうしたら、本当の討議の場が作れるのか、それは規制や予定調和の中からは発見できないと考えたからです。実行委員会はそのような問題意識のもとに、本集会を異なる立場の意見を交差させる場とすべく努力し、最低限その目標は達成されたと考えています。
そのような本集会の目標に照らして、第三部のフリートークで、パネラーのひとりに対してなされた実行委員会メンバーからの不規則発言をどう評価するのか、という問いが集会開催後の実行委員会で提起されました。このことをどう考えるかをめぐって、私たちはこの間討論を重ねてきました。一方で、「意見の異なるものと論争するときにこそ、相手への尊敬を忘れてはならない」「罵声や野次というものは他者の権利を踏みにじる」等の批判が本集会開催後に実行委員会の内外から寄せられました。
たしかに、自らのプライドだけを守る言い訳として、他人への敬意を決定的に欠く者を、私たちはそもそも相手にすべきではありません。また発話をすくませる威迫の横行は、討議に真摯に向き合う者ならば決して許してはなりません。ネット空間でのやり取りがそうした傾向を帯びてしまうことへの危惧こそが、この集会の出発点にありました。その意味でこの発言が私たち実行委員会の意志一致の不十分性を露呈したものであることは明らかであり、この点は率直に認めたいと思います。
だが他方で、ようやく絞り出された声を一義的に「罵声や野次」と評価する者の立ち姿にも、私たちは警戒を怠ってはならないと考えます。言葉は聞くことからしか始まりません。発言を形式に切り縮め、「聞き・話す」困難を直視せず避けることは、そう評価する者の側が理解する努力を放棄するものでしかありません。私たちはこうした傾向を相互批判を通して克服しなければならないと思います。
この敬意と排除の岐路で「語り合う」ことは辛うじて成り立つと私たちは考えます。私たちは、本集会を第一歩と考えています。異なる闘いの論理を持つ人々が、互いを「罵声や野次」と切り捨てて終わるのではなく、「街頭の自由」をともに考えられる「仲間」になるために何が出来るのかを探りつつ、第2回以降の実行委員会へとつないでいこうと考えています。願わくば、これをお読みのみなさんにもご参加いただきたいと思います。
2012年12月30日
討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
2012年11月24日土曜日
個人的な中間報告 10月21日@一ツ橋大学 (平井 玄)
運動のあり方についての運動?
「運動のあり方について考え/行動する運動」という奇妙なことを、またしても友人たちと始めてしまった。運動とは、ふつう特定の主張の周りに人が集うことから始められる。ところが、これは集団的な行為のあり方自体を問いながら動く。いわば「自己言及」する「運動の運動」なのである。「奇妙」というのはそういうことだ。一緒にことを始めた一人である鵜飼哲さんによれば、こんな性質の運動は世界にもあまり例がないらしい。「民主主義」を標榜する国では、デモ行進は支配者が遮る壁のギリギリまで行こうとする。それが「もう我慢できないよ」という意思の表明だからだ。しかしこの国では、人々の心の中にこそまず「壁」がある。つまり、この集まりが開かれた理由はこの社会に埋め込まれた「不自由さ」に深く根ざしているのである。
生きるための「リアリティ」を奪い返す
きっかけは二つある。一つは、4年前の10月26日に東京渋谷の東急デパート本店裏、松濤の奥まったところにある麻生首相(当時)の豪邸をお訪ねする「リアリティツアー」と名付けられた行動で3人が逮捕されたことである。この小さな「旅」のガイドは、フリーター全般労組の人たちが主に務めていた。
1980年代以降の騒々しい渋谷しか知らない世代には、戦前この辺りが「山の手の奥座敷」だったことなど想像もつかないだろう。そこに向けて、(元気だった)地井武男さんのように「ちい散歩」をしてみたい。理由は、毎日のようにクライアントが変わるフリーター労働者には本当の「敵」が見えないからだ。闘おうとしても相手が誰か分からない。「階級」の時代なら見えた。「クライアント」では発注元の頂点がどこなのか、下からはまるで眼に入らないのである。死ぬまで不安定なフリーターはもう「カースト」だ。私たちをこき使うはるか上の最上級のカーストがどれほどの屋敷に住んでいるのか一度見学して、自分が天国と地獄の間のどの辺りをうろついているのか知りたい。「忠犬ハチ公」の街だから桜田門の番犬がついて来るだろう。それでもデモじゃないなら、犬を連れた散歩に警察の許可はいらないはずだ。ところが交差点でいきなり吠える。とたんに「公妨!逮捕」である(「タコオヤジ公安」のYouTubeを参照)。つまり筑豊の炭坑王の孫が寛ぐ大邸宅を拝見して、自分たちが生き惑う迷路のような「リアリティ」を解きほぐす権利さえ奪われているということだ。「リアリティ」とは、人が生きるために必要な心の恒常性を支える想像的な岩盤である(樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』光文社新書)。
行き先を示す紙製ボードを掲げたのが「違法」と渋谷署は言いつのった。それでは観光地のツアーガイドたちはみんな勾留されてしまうのか。ここから逆に、公安条例自体の成り立ちを疑う国家賠償請求の集団訴訟が始まっていた。
群衆の広場が一瞬の「議会」になる
もう一つは、去年の9月11日に新宿で行われた「原発やめろ!!!!!」デモで12名が大量逮捕されたことである。これに抗議する知識人たちは「デモと広場のための共同声明」をすぐさま発表した(『脱原発とデモ──そして、民主主義』筑摩書房)。外国人特派員協会で会見も行われる。この声明がどれほど効果を上げたか見当もつかないが、結局のところ検察官たちは誰一人として起訴できなかったのである。反原発の動きが波打つ最初の山場で、騒乱罪から43年を経た新宿に帰ってきた2万人のカーニバルを牽制する「脱法的」な嫌がらせ逮捕なのは明白である。それでもデモ隊列を細切れにする分断は止まなかった。以来、警察による暴力的な妨害行為をなんとか抑止できないかと、何人かの声明参加者たちは考え続けていたのである。
同じこの時、ギリシャではEU銀行団が締めつける街で暴動が続いていた。カイロのタハリール広場では大群衆が30年続いた独裁政権を倒す。有色人種の大統領が生まれても何も変わらないとウォール街の公園が占拠された。8割が反対なのに原発が再稼働されようとする国だけではない。世界中で議会制がまったく機能していないのである。巨大企業化した新聞やテレビによる「国民的リアリティ」の捏造、さらに「国民代表」を選ぶ議会選挙投票率が常に50%以下という、18〜19世紀に確立したメディア政治の環境が地殻ごと大きく揺らいでいることは誰の眼にも明らかだった。「街頭」が「緊急野外議会」の様相を帯びる瞬間が、2011年の地球上で何度も目撃された。
「地震の神」が「菊の呪い」を揺るがす
そこに、この列島特有の条件が重なる。この部分は私個人の考えだが、大地の動乱はこの列島に取り憑いた「菊の呪い」を底深く揺り動かしたと思う。
古代の列島社会で、まだ形を成していない王権神話と地震神話は二匹の蛇のように絡み合い、激しく争っていたという。このことが、原発震災の揺さぶりを受けた最近の文理融合研究の進展の中で明らかになってきた。少なくとも、大地と社会の動乱がシンクロナイズする危機が歴史上で何度も訪れたのは間違いないようだ(奈良・平安の王権に祟る大地震や火山噴火については保立道久『歴史のなかの大地動乱』を、幕末から大正大震災に至るまでについては石橋克彦『大地動乱の時代』ともに岩波新書)。
地震噴火が異族の動乱と同期する「祟り神」の怒りをなんとか慰撫しようと、震源地や噴火口を祀って社を建てる。そのために「菊の王」たちは渡来仏教と交わり、その超越的な力を借りたのである。さらに明治以降は、大逆罪、治安維持法、破防法、騒乱罪、公安条例という「非常事態」の例外条項が「菊の栄え」を支えてきたといえる。つまり、世界に冠たる「街頭の不自由」が内面的な「呪い」の持続に貢献してきたのは疑いないだろう。昨年3月以降、この呪縛力に翳りが差す一瞬が訪れたのは確かだ。内外のこうした大きな変動が、9月11日以降は全面排除や大量検挙ではなく祭りを交通整理するような雑踏規制方針を当局に選択させるのである。そして、いわば「祟り神を祀る」のとは裏腹に、「脱原発」以外の「沖縄反基地」や「反天皇制」を掲げるデモや集会への国家中毒者たちによる襲撃、つまり「菊の呪い」は強化されたのである。反原発のデモは「動乱する祭り」なのか、それとも「慰撫する祀り」なのか。「呪い」は果たして解けるのか?──二つの力のせめぎ合いが続いていると、官邸前と靖國前、3キロしか離れていない二つの路上を訪れながら、今私は考えている。
ネットの不自由から語り合う自由へ
こうして「リアリティツアー」国家賠償裁判の原告たちと「共同声明」の参加者たち、二つの問題意識を持ったグループが合流するところから今回の集まりが準備されていく。
集会へ向けた話し合いが進むその中で、紫陽花の咲く梅雨から盛夏にかけて「再稼働阻止」一点に絞り込んだ永田町の首相官邸前行動が多くの人を集め始める。大飯原発が再稼働されようとする中で、それは膨れ上がった。黄色いテープによる自主規制のラインを越えて車道に人波が溢れた6月29日の最初のピークに私も立ち会うことになる。発表された「20万人」はともかく、数万人がそこにいたのは確かだ。と同時に、多くの参加者たちが「なんでそこまで自主規制なの?」と感じていたことも確かだったと思う。そんなことを言われても、官邸前行動を呼びかけた若い人たちには寝耳に水といったところだろう。まして彼らの大半は「国家」という阿片に酔う人たちではない。これとは別に、四谷の韓国文化センターや麻布の中国大使館へ向かい「島騒ぎ」に酔い痴れる人たちが現れる。怪鳥オスプレイも列島上空から沖縄へと飛び回る。こういう紫陽花と菊が季節外れに咲き乱れる事態に対して、もっとクレバーな対処法はないのだろうか?
かつて1970年代に学生運動が黄昏れる中でさまざまな「シングル・イシュー」にこだわることは、個別テーマに「普遍」の深みを掘り進んで地下に根を張ることだった。公害や基地、地域や中小工場、部落や寄せ場、裁判支援や第3世界連帯、そして原発。ところが、官邸前で聞かせられる少数の「菊」が混じったシングル・イシューの連呼は、一つの声に封じ込めることにならないか? そんな疑問にツイッターの雑言が返ってくる。いわくネサヨ(根の暗い左翼)、旧世代のジジィババァなどなど、寂しい罵倒の連射芸。140字で短詩文藝の伝統は生かせても条理は尽くせない。考えるとは蛇行することだ。生きて死ぬことも同じである。
だからこそ、この捩じれた情勢の中で「街頭行動の自由と不自由」を語ろう。ともかく顔を合わせて百家争鳴の場を──と、この集会が呼びかけられた。脱原発デモの現場で参与観察を続け、反原連に法的なアドバイスをする若手政治学者の木下ちがやさん、デモで国家中毒者の激しい攻撃を受け続ける反天皇制運動連絡会の桜井大子さん、官邸前にも反靖国デモにも自ら足を運ぶ編集者の太田昌国さん、3人の報告が第1部である。ここをスタート地点にして瀟洒な街の大学講堂を揺らすように議論は沸いたのである。
路上の生とニーナ・シモンの歌
「全国的な広がり、様々な層の「化学合成」の中でこそ官邸前を見るべき」と木下さんは言う。「不自由の極みの反靖国行動に集まる200人の関係の積み重ねが自由を創り出す」と桜井さんが言葉を繋ぐ。太田さんは「被害者意識やoccupy、99%というマジョリティの言葉をも疑う歴史観を」と結んでくれた。
とはいえ、ハバーマスが言う「市民的対話」は学府の中でさえなかなか難しい。平等な「市民」とはそこに「いる」者ではなく、生成途上の「なる」者だとしても、なんらかの「民衆革命」という共同体験が蓄積されていない場所では、その方向が共有されているとは限らないからだ。議論の応酬はどうしても「菊の呪い」に引きずられる。この齟齬ゆえ主催者側から一瞬ヤジが飛んでしまったことの非を、私も「語り合う自由」を謳う会の司会者として認めたい。
必要なのは、紫陽花の種を撒き散らして見たこともない雑種を増やし、地中に張られた菊の根を枯らしていくための論争である。この点で、メルトダウン直後に全員が低線量被ばくという「経済的核兵器」の攻撃を受けたはずの首都圏の動きは、本当のところ「被害者運動」でさえないのでは、という貴重な論点も出された。
今のところまだ無痛のこうした「痛み」に人々の体が敏感に反応していれば「再稼働反対」だけではすまないはず。数百万人単位の東京電力訴訟団が現れ、全面的な料金不払い運動や施設財産の占拠が出現するだろう。新しい言葉が現れ、必要に応じて行動を自制する別の方法も発明されるはずである。
その意味では、方向は第2部の「映像サンプリング」に予感されていたのではないか。そのラストシーンはこうである。80年代の山谷の真冬、路地で日雇い労働者たちが焚き火をする。そこから立ち上る煤煙りが脇の道路標識を真黒く汚し、表示を見えなくする。路地さえ統治する「禁止条項」を、生きようと群がる意志が消してしまうのである。映画『山谷 やられたらやりかえせ』の一シーンである。そこにニーナ・シモンの「私にはなにもない」というソウルフルな歌が重ねられた。おそらく60年代ニューヨーク・ハーレムの広場で「ジャズモービル」という催しで黒人音楽家たちが無料で演奏した際の映像である。「私には金も家も、何もない。でもソウル(魂)がある」。この低い声は、他でもない和田アキ子の歌声に引き継がれたのである。奇妙な「運動の運動」はもう少し続けられるだろう。
2012年11月4日日曜日
第一回討論集会報告 (北野誉・反天皇制運動連絡会)
一〇月二一日、一橋大学で「討論集会 街頭行動の自由を考える」がもたれた。主催は同実行委員会。三部構成で、第1部はパネルディスカッション、第2部はサンプリング映像と主催者のコメント、第3部がフリートークとなかなか多彩なつくりだった。
この集会のテーマ設定やパネリストの人選には、ある種の「切実」さのようなものがあったと言っていい。毎週金曜日の首相官邸前行動をめぐる対立的な言説が、ネット中心に飛びかっているのは周知の事実。そこでは主催者による警察への協力や「日の丸」、「シングルイシュー」の名による「統制」が批判され、その批判者が「警察との無用の対立」を煽っていると批判される。そこには明らかな齟齬がある。
第1部の発言者は木下ちがやさん、桜井大子(反天連の仲間なので敬称略)、太田昌国さん。木下さんは官邸前行動の「主催者」サイドに立っていると目されているが、桜井も太田さんも、批判は持ちつつも、官邸前行動はそれとして評価しているはず。それはおそらく、この日の集会を主催した多くの人にとっても前提だろう。拡大する運動の中で現われてきたさまざまな問題を、運動の「作風」の問題として話しあう場をもつこと、それを通じて可能性をさぐり、相互の関係性を少しでも風通しのよいものとしていくことが、「街頭行動の自由」一般について語ること以上に意識されていたと思う。
二〇一一年から一二年にかけて、世界的に「民意」が沸騰する時間に入った、反原発運動もその流れにあるとする木下さんは、現在のデモを構成しているのは、三〇代・四〇代の比較的若いが「不安定」な層、反原発を含めた旧来の社会運動に参加してきたような中高年層、環境問題などのNGOの三層であるという。潜在的にあったこれらの動きが交叉し、顕在化する形で、六月から七月にかけて、「自由な行動」が一気に広がった。そしてそれは首都圏から「地域」へと広がっている。一つの地点だけに目を奪われるべきではない。
桜井は、官邸前の「自由」と比較して、8・15反「靖国」行動の「不自由」について述べた。右翼を利用する警察への申し入れなど「自由のための条件」を少しでも広げるために努力はしているが、そういう自由を得るための行動の積み重ねのなかでしか、自由は手にしえないと発言。
太田さんは、社会運動の中の少数派の問題、「シングルイシュー」の運動が七〇年代にどのように作り出され、それはどんな意味を持っていたのか、また、運動の中でのスローガン(ことば)と対話のありかたなどについて論じた。さらに、運動の中で運動それ自体が変貌していく可能性をも示唆した。
パネリスト相互の討論、映像とフリートークも、端緒的なものであったが、とても考えさせられるものだった。「シングルイシュー」概念の違い、被害者意識が生み出す運動的な強さと限界、「生活保守」と「生命保守」、現場における「解放感」、運動のなかで取り落とされてきたもの、とりわけ福島で孤立させられている声とどうつながるか、など論点は多岐にわたった。
スペースの都合で二点だけ。映像の中に「飼いならされた羊」「一匹、二匹と柵をのりこえはじめた」という表現があって、それを木下さんは「(目覚めていない)大衆/(先鋭的な)前衛」図式であると批判したが、むしろ羊とは、この「市民社会的秩序」を内面化し、あえて柵から飛び出そうとしない身体に馴致されてしまった全ての私たちのことではないのか。そして柵を越えるとは、映像にあった山谷の焚き火に象徴される生活の場、あるいはハプニング演劇や占拠など、まったく異なる街頭の使い方があるということへの誘いではなかったのか。
もう一点、フリートークのなかで、反原発デモの被弾圧当該から、官邸前行動の「主催者」が救援に非協力的であったという具体的な批判があり、木下さんがこれに応答するという場面があった。そこでは齟齬が直接ぶつかりあっていた。このとき司会の鵜飼哲さんが、個別事象の批判ではなく会場全体で共有すべき問題へとひらいていくべく努力を重ねていた姿が、この集まりの基本姿勢を表わすものとして印象的だった。ここでは集会の主催者の一人がパネリストにヤジを飛ばす(これはアウトだろう)という場面もあった。だが、そういった点も含めて、議論はやっと入り口だな、というのが正直な実感だ。しかし、そのことにおいてこそ貴重な集まりだったといえるだろう。
(北野誉・反天皇制運動連絡会)
●東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議『支援連ニュース』2012年10月27日号
この集会のテーマ設定やパネリストの人選には、ある種の「切実」さのようなものがあったと言っていい。毎週金曜日の首相官邸前行動をめぐる対立的な言説が、ネット中心に飛びかっているのは周知の事実。そこでは主催者による警察への協力や「日の丸」、「シングルイシュー」の名による「統制」が批判され、その批判者が「警察との無用の対立」を煽っていると批判される。そこには明らかな齟齬がある。
第1部の発言者は木下ちがやさん、桜井大子(反天連の仲間なので敬称略)、太田昌国さん。木下さんは官邸前行動の「主催者」サイドに立っていると目されているが、桜井も太田さんも、批判は持ちつつも、官邸前行動はそれとして評価しているはず。それはおそらく、この日の集会を主催した多くの人にとっても前提だろう。拡大する運動の中で現われてきたさまざまな問題を、運動の「作風」の問題として話しあう場をもつこと、それを通じて可能性をさぐり、相互の関係性を少しでも風通しのよいものとしていくことが、「街頭行動の自由」一般について語ること以上に意識されていたと思う。
二〇一一年から一二年にかけて、世界的に「民意」が沸騰する時間に入った、反原発運動もその流れにあるとする木下さんは、現在のデモを構成しているのは、三〇代・四〇代の比較的若いが「不安定」な層、反原発を含めた旧来の社会運動に参加してきたような中高年層、環境問題などのNGOの三層であるという。潜在的にあったこれらの動きが交叉し、顕在化する形で、六月から七月にかけて、「自由な行動」が一気に広がった。そしてそれは首都圏から「地域」へと広がっている。一つの地点だけに目を奪われるべきではない。
桜井は、官邸前の「自由」と比較して、8・15反「靖国」行動の「不自由」について述べた。右翼を利用する警察への申し入れなど「自由のための条件」を少しでも広げるために努力はしているが、そういう自由を得るための行動の積み重ねのなかでしか、自由は手にしえないと発言。
太田さんは、社会運動の中の少数派の問題、「シングルイシュー」の運動が七〇年代にどのように作り出され、それはどんな意味を持っていたのか、また、運動の中でのスローガン(ことば)と対話のありかたなどについて論じた。さらに、運動の中で運動それ自体が変貌していく可能性をも示唆した。
パネリスト相互の討論、映像とフリートークも、端緒的なものであったが、とても考えさせられるものだった。「シングルイシュー」概念の違い、被害者意識が生み出す運動的な強さと限界、「生活保守」と「生命保守」、現場における「解放感」、運動のなかで取り落とされてきたもの、とりわけ福島で孤立させられている声とどうつながるか、など論点は多岐にわたった。
スペースの都合で二点だけ。映像の中に「飼いならされた羊」「一匹、二匹と柵をのりこえはじめた」という表現があって、それを木下さんは「(目覚めていない)大衆/(先鋭的な)前衛」図式であると批判したが、むしろ羊とは、この「市民社会的秩序」を内面化し、あえて柵から飛び出そうとしない身体に馴致されてしまった全ての私たちのことではないのか。そして柵を越えるとは、映像にあった山谷の焚き火に象徴される生活の場、あるいはハプニング演劇や占拠など、まったく異なる街頭の使い方があるということへの誘いではなかったのか。
もう一点、フリートークのなかで、反原発デモの被弾圧当該から、官邸前行動の「主催者」が救援に非協力的であったという具体的な批判があり、木下さんがこれに応答するという場面があった。そこでは齟齬が直接ぶつかりあっていた。このとき司会の鵜飼哲さんが、個別事象の批判ではなく会場全体で共有すべき問題へとひらいていくべく努力を重ねていた姿が、この集まりの基本姿勢を表わすものとして印象的だった。ここでは集会の主催者の一人がパネリストにヤジを飛ばす(これはアウトだろう)という場面もあった。だが、そういった点も含めて、議論はやっと入り口だな、というのが正直な実感だ。しかし、そのことにおいてこそ貴重な集まりだったといえるだろう。
(北野誉・反天皇制運動連絡会)
●東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議『支援連ニュース』2012年10月27日号
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